ささくれ備忘録

主に乙女ゲームの感想・考察を書いています。

たとえ虹を渡るとも

お久しぶりです、前回からまたしても一ヶ月以上空いてしまいました。

7月が終わる頃にまた、ということだったのでどうにかブログを上げなければ、と思いなんとかパソコンで文字を打ち込んでいます。

あれから、身の回りですごく色々なことが起きました。前回のブログを書いていたときには想像もつかなかった色々です。自分に関わること、親戚のこと、嬉しいこと、悲しいこと。ほんの一ヶ月で、こんなにも目まぐるしいものかなあ、と思いながらどうにか日々を過ごしています。

乙女ゲーム関係でも色々ありましたね。私のすごく好きなゲームが、キャストを一部変更する旨だとか、アンジェリークの18年ぶりの完全新作だとか。余談ですが私は一度もアンジェリークに触れてこなかったので、ついに手を出すときが来たか~と思っています。まあその辺は後日また改めて触れようと考えていますが、今回は全然乙女ゲームに関係ない話です。なので、それを期待して見に来てくださった方には大変申し訳ないのですが。

興味のある方だけ、お付き合い頂けたら嬉しいです。

昨日、うちで飼っていた猫が亡くなりました。

名前はゆゆ。そのままだと少し呼びづらいので、私はゆゆちゃん、と呼んでいました。元は捨て猫だった為、正確な年齢は分かりませんが大体16歳くらいの女の子で、人間に置き換えるとかなり高齢のおばあちゃん猫です。

元々、うちで飼っていた猫ではなく、私の叔母が東京にいた頃拾って、それから十数年一緒にいた猫です。その叔母が、2年ほど前に良縁に恵まれ、嫁ぐことになったものの、相手方が猫アレルギーで一緒に連れて行くことが出来ないという経緯があり、余生をうちで過ごすこととなりました。

時間にすると丸2年ほど。更に私は、ここ数年は実家を離れ別の場所で暮らしていて、夏や冬といった長期の休みには定期的に帰ってはいましたが、実家にちゃんと戻ってきたのは今年の春先のことで、日数を換算しても私がゆゆちゃんと共に過ごした時間というのは、おそらく1年にも満たないのでしょう。

ただ、それでも、時間なんて関係なく、私はあの子のことがとても大好きでした。

まんまるで大きく可愛い瞳をしているのに、やけに顰めっ面をしてなかなか可愛い顔を見せてくれないところも、おとなしくて全然鳴かないのも、たまに短く途切れ途切れの不思議な鳴き声を出すのも、たぬきのように太くて短い尻尾も、柔らかいぷにぷにの肉球も、鼻づまりのいびきも、晩ご飯が魚だと鼻をひくひくさせて隣でじっと待つのも、冷蔵庫を開けると何かくれるのかと期待して大きな瞳でこちらを見上げてくるのも、何もあげないでいると台所にずっと居座る頑固なところも、羽毛布団が好きで布団の上に乗っては爪で引っ掻いてしまうところも、天気のいい日には窓際でひなたぼっこをするのも、綺麗好きで、トイレが少しでも汚いと洗面所のマットの上でトイレをしてしまう困ったところも、吐いたり、粗相をすると決まり悪そうに遠くへ逃げるのも、固いのより柔らかいご飯が好きで、柔らかいのばかり食べてしまうのも、ずっと気に入って食べていたご飯の味に飽きたのか全く食べなくなってしまって、別の味のご飯をあげたらがっつくようにはぐはぐ食べるのも、たまにテーブルの上に上がってしまうのも、夜に瞳をエメラルドに光らせるのも、抱っこされるのが好きでソファに座っていると膝の上にすぐ乗ってくるのも、ソファで寝ていても身体の上に乗って抱っこされたがるのも、人の手のにおいを嗅いだり、舐めるのが好きなのも、レジ袋のがさがさが好きでよく顔を突っ込むのも、誰もかまってあげないと低く変な声で鳴くのも、人に撫でられるときに撫でている人の顔を見たがったり顔を舐めたがるのも、気持ちいいところを撫でるときゅっと目を閉じるのも、寝ているときに名前を呼ぶと面倒くさがって尻尾だけ動かして返事するのも、おねだりのときに人の足に手をかけて、でも爪は立てずに優しくちょいちょいするのも。

全部全部、可愛くて、本当に大好きでした。

目に入れても痛くない、という言葉があるけど、私や、家族にとってゆゆちゃんはそういう存在でした。

何をしていても、何もしてなくても、ただそこにいるだけで、すごくすごく可愛かった。

ゆゆちゃんの一挙手一投足、事あるごとに「可愛い」という言葉がぽろりと出て、一生分の「可愛い」という言葉を言ってしまったんじゃないか、と思うほどそれ以外の言葉が出てこなかった。

だって本当に、信じられないくらい可愛かったんです。

あの子がいってしまった昨日の夜、散々泣いたと思っていたけど、この文章を書いている今も、まだまだ涙が溢れて止まらないのが変な感じです。人間ってこんなにも泣けるんだな、と何処か冷静な自分がいるのに、いくら拭ったところで涙は乾かない。

嗚咽がこみ上げる訳でもなく、ただ瞬きをするだけでぼろぼろと涙が零れてくるというのが不思議で、それが自然すぎて泣くのが止められないのです。

大きな感情にまかせて過呼吸になるくらい泣いた経験はありますが、こんなに凪いだ状態で、あまりにも自然に泣いたことはなかったので、涙を抑える術を知りません。

当分はもうずっと、泣いてしまう気がします。

私はそのとき別のところに住んでいて、ずっとゆゆちゃんと一緒にいたわけではないので詳しいことはあまり分からないのですが、1年ほど前、ゆゆちゃんの体調が悪くなり、お医者さんに診せにいったところ大きな腫瘍があって、それの手術の為に一週間ほど入院していた、というのは聞いていました。

そのときの手術で腫瘍は取りきったものの、また転移する場合は、高齢で体力もないゆゆちゃんに2回目は耐えられない、といった話も、聞いていました。

お腹がだるだるしてそこそこふっくらしていたはずなのに、長期休みのタイミングで、夏に実家に戻ると手術後のゆゆちゃんは大分やせ細って、少し、怖いと思ったのを覚えています。

ただ、それでもゆゆちゃんはゆゆちゃんで、変わらず頑固で食い意地が張っているのを見たときはとても安心して、でも、今年の夏が最後の夏かもしれない、と言われたのがずっとひっかかっていました。それが去年の話です。

その言葉通り、ゆゆちゃんは本格的な夏になる前にいってしまった。

私の母と祖母は奇妙なことに誕生日が同じ日で、それを初めて聞いたときは驚きました。

8月28日。

奇しくも、母と祖母の誕生日のちょうど一ヶ月前でした。

せめてあと一ヶ月、誕生日まで耐えられなかったんだろうか。耐えられなかったんだろうな。もう充分、耐えたんだろうから。

多分ずっと忘れられない、という母の言葉を、なんだかやり切れない気持ちで聞いていました。

ゆゆちゃんは手術をした後、なんとか持ち直したようには見えたけど、やっぱり転移していて、もう待つだけ、という状態だった。また手術をすることは出来たかもしれないけど、それはゆゆちゃんの苦しみを長引かせることでもあるから、色々と考えた結果、終わりを待つという選択をした。一応健康には気を遣って塩分控えめのご飯で、でも以前よりは好きなご飯を多めにあげて。たまにだったらお魚もちょっとだけあげたりして。

それでも日に日に細くなり、骨と皮だけみたいになって、びっこを引いたように歩くようになって、あれ程がっついていたご飯もあんまり食べなくなって、変に甘えた声を出すようになり、遂にはソファに上がれなくなりました。

祖母が気をきかせて抱っこした状態で外の空気を感じて貰うためにぐるっと家の周りを一周すると、何故か妙に外に執心して。猫は死期を悟ると誰もいないところに行きたがる、とはよくいいますが今思うとそういうことだったのかな。

亡くなる日の前日の夜、私以外の家族は皆寝てしまって、私だけがリビングでまだ起きていました。夜も遅く、深夜1時を過ぎた頃。ゆゆちゃんが唐突に、玄関の方へ向かって、甘えた声を出しました。その頃は鳴く、っていうよりもほとんど息を出す、って感じのかすかすの声で、でも珍しく割と強めに鳴きました。外に行きたい、と鳴くのはやけに外に執心していたせいもあって珍しくもなかったのですが、こんな深夜に行きたがるのは初めてのことだったので、私はかなり戸惑いました。

何かを訴えるように後ろを振り返り、瞳をエメラルドに光らせるゆゆちゃん。

とりあえず、靴箱がある玄関の内側まで連れて行きましたが、玄関の扉の前で更に強く鳴きました。皆寝ているとはいえ、何度も大きめの声で鳴くものですから私は焦って、「もう夜だよ、ゆゆちゃん」と小声で話しかけるもののゆゆちゃんの意識は外に向かっているようでした。

このときのことを、何といったら良いのだろう。

両親が私に何も言わなくても離婚届を出しにいったことが分かった日のような、妙な胸騒ぎ。虫の知らせ、とでもいうのか。

これを逃したら、私は絶対一生後悔する。

そんなことを強く感じて、私は結局玄関の扉を開けて風除室まで連れて行きました。外は真っ暗で、明かりもほとんどないので人間である私は全然何も見えなかったのですが、猫であるゆゆちゃんは何か見たいものを見ることが出来たのでしょうか。そうだったなら、いいな。

時間にして、5分くらい。かなり短かったけど、もうそれだけで満足したのか、その後外へ行きたがるようなことはありませんでした。それが最後のお散歩でした。

その日の朝は、なんだか少し変な感じで、ゆゆちゃんが粗相をしてしまうことは少なくはなかったけれど、いつも以上に自分でコントロール出来ていないように感じました。水を飲むのもすっかり下手になり、自分で舌を出して飲めず、ただ顎の辺りを水に浸してしまうようになったので、数日前からスポイトで水を飲ませていました。水を飲ませるのはほとんど祖母がやってくれていましたが、私も少しだけ手伝って、朝とお昼過ぎに水をあげました。

急変したのは、夕方くらいからだったように思います。

それまで普通にご飯をねだったり歩いたりしていたゆゆちゃんが、寝床に伏せたままもう立てなくなっていました。立とうという意思はあるものの、足が思うように動かせず、ぐらぐらして結局倒れてしまう、という感じ。

祖母が隣で付きっきりになり、ずっとゆゆちゃんのことを撫でていました。

ゆゆちゃんの望むことは全て叶えてあげたくて、ご飯や水を望むならいくらでもあげられるけど、この段階になると最早何もしてあげられなくて、ただ撫でることしか出来ないのがすごくもどかしかった。

祖父はいつも早めに寝てしまうので、私と祖母でずっとゆゆちゃんを撫でていました。

私の母は帰りが遅く、残業がある日は21時過ぎに帰ってくることもあって、その日もなかなか帰って来ませんでした。ひたすらに撫でながら、私が考えていたことは、「間に合ってくれ」という、ただそれだけでした。

19時半には小刻みな痙攣をし始めて、信じたくはないけど、もう終わりが近いのが分かって、母が間に合うことだけを必死に祈って、そうしてやっと母は帰って来ました。

間に合ったとか、間に合わせてくれたとかよりも、ゆゆちゃんは懸命に耐えて、母のことを待ってくれていたのかな、と思います。それから大体10分くらい、私たちはゆゆちゃんの身体を撫でたり、触ったり、私は手(というよりも肉球)をずっと握っていました。私の思い違いかもしれないけど、肉球を握っているとき、握り返すようにゆゆちゃんは軽く押してくれたような気がして、それで更に、泣けてしまった。

何度か痙攣をした後、ゆゆちゃんの頭が大きく、くーっと力を全て失ったように動いて、多分それがお別れでした。

私と母、祖母の3人に囲まれながら、ゆゆちゃんはいってしまった。

泣きながら、それでもやっとゆゆちゃんが苦しみから解放されたのに安堵して、でもまだ受け入れられなくて。ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、ゆゆちゃんの身体にちょうどいい箱を探して、タオルや、新聞紙、保冷剤を入れて寝床があったところに置いてあげて。もう夜も大分遅く、祖母が先に寝るといい、その次に母が寝室へ行き、私が最後に残されました。基本的に私は寝るのが遅く、だからこそ亡くなる日の前日の夜も散歩に連れ出せたのだと思いますが、なかなか寝る気にはなれなかった。

一番最後、電気を消す前に私が毎回ゆゆちゃんに掛ける言葉があって、そんなときでも全く同じ言葉を掛けてしまったのに笑ってしまいました。

なんとか一晩経って、ゆゆちゃんがいない生活が今日から始まりましたが、それでもゆゆちゃんの身体はいつものところに置いてあって、無意識にそこに目を遣ってしまう自分がおかしくて、更に辛くなってしまうので見ないように思っても、結局見てしまうのだからなんて儘ならない。

祖父の日課のお経をあげる中に、「ゆゆ」の言葉があって泣きそうになったり。

冷蔵庫を開けたり、台所へ行く度に後ろからゆゆちゃんが来てくれるような、そんな変な感じがして。

何処もかしこもゆゆちゃんの気配がするのに、もう何処にもいないのが信じられなくて、今日だけで何度泣いたか分からない。

あの可愛いゆゆちゃんがいないなんて、嘘だ。

ふと寝床を見ると、まだそこに生きている気さえするのに、そこに存在するのは保冷剤に囲まれたゆゆちゃんの身体だけ。まだ受け入れがたく、何処かに探してしまう。

私のこの支離滅裂な感情を、知り合いや友人がいるところでは吐き出したくはなかった。誰かに同情や共感の言葉を掛けて欲しいわけではなく、誰にも見て欲しくなかった。でも、吐き出すところは必要で、140字くらいじゃ収まりきらない思いはこうしてブログに書くしかない。私が持っているブログはこれだけだったので、全然関係ない話だけどここを選ぶしかなかった。サーバーやブログとして残っているなら後で読み返せる、というのも都合がよかった。いつか傷が薄れてしまっても、きっと読み返せば鮮烈に思い出すことが出来るだろうから。このブログは一応は備忘録、ということなのだし。

備忘録ついでに、元気だった頃のゆゆちゃんの写真を置いておきたいと思います。

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本当に、すごく可愛い猫だったんです。ゆゆちゃんが亡くなる10分くらい前に撮った最後の写真は、ぶれすぎて笑ってしまうけど、それもついでに載せておこう。いつもはしない失敗だし、普通だったら消すんだろうけど、これはもう消せないな。

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犬や猫といったペットが亡くなった際に、「虹の橋を渡った」という表現をすることがあります。いってしまった子たちは虹の橋のすぐ下で待っていて、飼い主が亡くなったときに共に虹の橋を渡って天国へいける、とかいう話。

私もいつか、ゆゆちゃんと共に虹の橋を渡るんだろうか。

明日は、近くにあるペットの斎場にゆゆちゃんを連れて行く予定です。そこで本当に、お別れ。まだ実感が沸かないけれど、明日になったらじわじわくるのかな。

おやすみゆゆちゃん、また明日ね。